秋元長朝

秋元長朝

秋元長朝
秋元氏は下野宇都宮氏の庶流で、上総國秋元郷が本貫とされ、國守護の犬懸上杉氏が禪秀の乱で失脚後に、武蔵深谷上杉氏に仕えて「四天王」の一と言われた。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の時には、主君の上杉氏憲は後北條氏との間で動揺し、小田原城に籠もった。
留守居役の長朝は、子の泰朝を小田原に送り、鉢形城攻めの前田利家、浅野長政に深谷城を攻められ、開城した長朝は長政と同國忍城攻めに加わった。

井伊直政の口利きで、徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦で上杉景勝への使者役を勤めた功で、慶長6年(1601)には、六千石が加増され、上野國総社(現群馬県前橋市)一万石の城主となった。
大坂の両陣にも参加し、新田開発などの民政面にも努力した。

子の泰朝は甲斐國谷村城に移り、子孫は河越城五万石、次いで山形城・館林城六万石に転じ、老中なども勤め、明治維新後には子爵を授けられている。

 

時代
戦国時代 - 江戸時代
生誕
天文15年(1546年)
死没
寛永5年(1628)8月29日
享年
83歳
法名
江月院巨嶽元誉
別名
孫四郎、孫三郎
官位
越中守
幕府
江戸幕府
主君
上杉憲盛、氏憲→井伊直政→徳川家康、秀忠、家光
谷村藩藩主
氏族
藤原氏支流秋元氏
秋元但馬守景朝、
上杉憲政養女(古幡良家娘)
子供
娘(小笠原與惣左衛門妻)、娘(渋川次郎義勝妻) 、但馬守泰朝

 

私観

長朝の機転の良さで、戦国の世を渡り、大名に駆け上り後世には華族の一員にまでなっている。主君の移り身の速さも家系の系譜傳を見ても秋元家はその時代ごとに機転を利かせているのが判る。

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