源頼信

源頼信

頼信は、摂津國多田(現・兵庫県川西市多田)の地に源氏武士団を形成した源満仲の三男として生まれ、河内國石川郡壺井(現在大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とする河内源氏の祖となります。
兄頼光と同じく摂政関白の藤原道兼に、道兼の死後は藤原道長に仕え、諸国の受領や鎮守府将軍などを歴任しています。河内國に土着して石川郡に壺井荘を拓き、香炉峰の館を建てる。

長元4年(1031年)に平忠常の乱を平定し、その後の河内源氏の東國進出の第一歩を記す人物でもあります。
武勇に優れていて、平維衡・平致頼・藤原保昌らと「道長四天王」、或いは「四天王」と称されたそうです。

この乱の後、坂東の武士たちは河内源氏と主從関係を結ぶようになり、後の東國支配と武家源氏の主流となる礎を築く事になります。

 

時代
平安時代中期
生誕
安和元年(968)11月29日
死没
永承(1048)3年4月17日
官位
從四位上、昇殿、鎮守府将軍、検非違使、常陸介、伊勢守、河内守、甲斐守、信濃守、美濃守、相模守、陸奥守、左馬權頭、冷泉院判官代、治部少輔、皇后宮亮、左衛門少尉、兵部丞、贈從二位
氏族
清和源氏経基流
多田左馬權頭満仲(鎮守府将軍)
藤原元方女又は藤原致忠女
兄弟
多田法眼源賢、内蔵頭頼光、宮内丞頼親、源二敦妻、河内守頼信、治部丞頼平、出羽介頼明、帯刀長頼貞、左衛門尉頼範、養子帯刀先生孝道、延暦寺僧侶源賢、阿闍梨頼尋
修理命婦
子供
 

私観

源頼信は清和源氏直系の存在のようです。清和源氏とは56代清和天皇の子貞純親王の子経基王が初めて源朝臣姓を賜り、その嫡子が頼信の父満仲となります。満仲の子供たちは源氏の子孫の礎となっていきます。

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源頼信
経基王が初めて源朝臣姓を賜り、その嫡子が頼信の父満仲となります。満仲の子供たちは源氏の子孫の礎となっていきます。