支倉常長

支倉常長

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、家禄は600石であった。
伊達氏の家臣で、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられた。

文禄・慶長の役にも従軍して朝鮮に渡海、足軽・鉄砲組頭として活躍した。
また大崎・葛西一揆の鎮圧にあたった武将の一人としてもその名が記録されている。

 

生誕
元亀2年(1571年)
死没
元和8年7月1日(1622年8月7日)
改名
山口與市、支倉長経、常長
別名
六右衛門
洗礼名
ドン・フィリッポ・フランシスコ
 山口常成
養父
 支倉時正
兄弟
 常長
義兄弟
 久成、常次
常頼

 

私観

常長は7年の間にスペイン、ローマを行き来し、伊達家の命によりエスパーニャとの軍事同盟を目論んでいたようだ。
しかしこの間キリスト教の禁止が幕府から出され、洗礼まで受けて交渉してきたが成功はしなかった。

数年間ヨーロッパに滞在して帰国したが、禁教令が出され失意により亡くなっている。苦労して渡航したのだから、失意の大きさが窺い知る事が出来るようだ・・・

支倉常長関連歴史人物

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