松前慶廣

松前慶廣

天正10年(1582)家督を相続する。蠣崎氏は出羽檜山安東氏の被官であったが、慶廣は、安東氏の支配から脱し、豊臣、徳川両家に従い近世大名の地位を得る事になる。
文禄2年(1593)秀吉より蝦夷一國及び松前を領知し、船役徴収権を公認する朱印状が下賜された。この朱印状を以て東西のアイヌを集め絶対服従を強要した。

慶長4年(1599)氏を松前に改め、同9年には徳川家康よりアイヌ交易の独占権を公認された。
慶廣は、天下の実権が家康に移ると見と、いち早く近づき、元和元年の夏の陣には自ら兵を率いて参陣を果たす。

奥羽諸大名である津軽、南部、佐竹、伊達らとも積極的に誼を結ぶという、政治力と外交能力によって乱世を乗り切って行った。

 

時代
戦国時代 - 江戸時代前期
生誕
天文17年9月3日
死没
元和2年10月12日
改名
天才丸、新三郎
別名
剃髪號海翁
法名
慶廣院殿海翁永泉大居士
官位
従五位下、民部大輔、志摩守、伊豆守
蝦夷松前藩主 、松前家五代目当主
父母

父 蠣崎若狭守季廣
母 河野彌治郎右衛門季通の娘

兄弟

蠣崎彦太郎舜廣、明石萬五郎元廣、伊豆守慶廣、随良(僧侶)、 蠣崎右衛門正廣、蠣崎玄番長 廣、蠣崎但馬定廣、蠣崎與三郎包廣、蠣崎作左衛門吉廣、蠣崎助五郎仲廣、蠣崎庄右衛門守廣、蠣崎主水員廣、蠣崎右衛門利廣(兄蠣崎正廣養子)、南條越中廣継妻、下國師季入道清観妻、喜庭伊勢秀信入道等雪妻、小平藤兵衛季遠妻、厚谷備中秀貞妻、東九郎左衛門茂季妻、村上今右衛門忠儀妻、~浦兵庫季綱妻、下國孫八郎重季妻、下國加兵衛、佐藤彦助季連妻、村上三河直儀妻、新井田右京廣貞妻、

正室:村上三河季儀の娘
子供

嫡子若狭守盛廣、喜庭直信妻後津軽宮内少輔信建室、隼人正忠廣、長門利廣、數馬由廣、傳十郎次廣、伊豫景廣、右兵衛安廣、長次郎満廣、下國内記廣季妻

 

松前慶廣関連歴史人物

松前慶廣
政治力と外交能力によって乱世を乗り切って行き、アイヌ交易の独占権得る。