井伊直政

井伊直政

井伊直政は、井伊氏第24代当主で、上野國高崎藩の初代藩主となる。後に近江國佐和山藩(彦根藩)に移りその初代の藩主となる。
直政は始め母が松下清景に再嫁するのに伴い、松下と称していた。天正3年(1575)2月15日家康が濱松の城下に放鷹される時に、道端で直政を御覧になり、召抱えられる事になる。15歳の時であった。勤労に励む直政に父祖の由来を問われ、詳しく言上するに、これより井伊に復すようにと、合わせて先祖歴代の土地井伊谷を賜る。

直政が組織した井伊の赤備えは戦國屈指の精鋭部隊として特に有名であり、徳川氏きっての政治家・外交官としても名高い事で知られている。
遠江國井伊谷の出身の若手の武将で、家臣になった時は外様でありながら、『柳営秘鑑』の書物では榊原氏や鳥居氏と並び、三河岡崎御普代として記載されている。

また、江戸時代に譜代大名の筆頭として、江戸幕府を支えた井伊氏の手本となった人物であり、現在の群馬県高崎市と滋賀県彦根市の発展の基礎を築いた人物として特に有名である。
徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。

大正6年(1917年)11月17日には、贈従三位とされている。

 

時代
安土桃山時代後期から江戸時代前期
生誕
永禄4年2月19日
死没
慶長7年2月1日
幼名
虎松 、万千代
別名
井伊の赤鬼、人斬り兵部(渾名)
法名
清涼泰安祥壽院
官位
従五位下、従四位下、兵部大輔、侍従、贈従三位
主君
今川氏真→徳川家康
上野高崎藩主→近江佐和山藩主→近江彦根藩主
氏族
藤原氏良門流
井伊肥後守直親、
奥山因幡守親朝の娘
継父
松下源太郎清景、養母:井伊直虎
正室
花(松平周防守康親娘・徳川家康養女)
側室
伊具
子供
政子(松平薩摩守忠吉室)、右近大夫直勝、左中将直孝、コ興院(伊達遠江守秀宗室)

 

私観

井伊直政と言う名を聞くと「井伊の赤備え」を思い出される。家康の子飼いの人物としても有名であり、徳川家を支える大名でも筆頭にあたると思います。

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家康の子飼いの人物としても有名であり、徳川家を支える大名でも筆頭にあたると思います。